明治9(1876)年12月、島根県松江市に生まれる。
東京高等工業学校応用化学科で当時の微生物に関する最先端を学び、主席で卒業。明治34(1901)年に松江税務管理局技手となる。明治36(1903)年に熊本税務監督局に転任。熊本県内の蔵を巡り、酒造改善の指導を行った。熊本県酒造研究所の発足に尽力し、大正8(1919)年に税務監督局を依願免官して熊本県酒造組合に着任。昭和31(1956)年、酒造功労者として黄綬褒章を受章。昭和39(1964)年、勲五等旭日章を受章。
目次
EPISODE 1
熊本では元々、清酒は造られていませんでした。熊本で造られていたのは「赤酒」。保存性を高めるために、火入れの代わりに灰を入れるという古来からの製法で造られる酒で、「灰持(あくもち)酒」と呼ばれました。細川藩の庇護のもと「御国酒」として赤酒だけを造っていた熊本には日本酒の技術を持つ酒蔵もなく、完全な清酒後進県でした。
そんな熊本を銘酒県として押し上げたのが、“酒の神様” として親しまれてきた野白金一氏です。
野白氏が熊本へやって来たのは、明治36(1903)年。熊本税務監督官に着任したためです。熊本の酒質を高め、より高く、多く販売することで酒税の徴収額を増やすことが目的でした。
野白氏は県内の蔵元を巡り、酒造技術の改善を指導。赤酒と清酒の分離仕込みを主張するなど、野白氏の優れた技術と見識により熊本の清酒造りは飛躍的に向上していきます。
明治42(1909)年、さらなる技術発展を目指し、県内の蔵元は共同で熊本県酒造研究所を創設。野白氏はその初代技師長に就任します。野白氏と職人たちの技術修得、熱心な研究の末、昭和5(1930)年の全国新酒鑑評会では、熊本の酒が1〜3位、5位と上位独占入賞を果たすまでとなったのです。
EPISODE 2
日本酒を造る上で欠かせないのは、米・水・麹、そして酵母。日本酒の個性でもある香りや味わいは、酵母の働きによって生まれます。
野白氏は酵母の研究にも熱心でした。熊本県酒造研究所のもろみから酵母を分離する試験を続け、昭和27(1952)年頃、吟醸用「熊本酵母」の開発に成功。日本醸造協会から「協会9号酵母」として採用され、全国に頒布されました。
発酵力が強く、華やかな芳香とまろやかな風味を醸す熊本酵母。吟醸酒の醸造に欠かせない酵母として、開発から半世紀以上経った現在も、全国の酒造家たちに強く支持されています。
EPISODE 3
野白氏が開発し、全国の酒造に広まったのは熊本酵母だけではありません。麹室の換気と温度調節に画期的な効果をあげる「野白式天窓」を考案したほか、温暖な九州の地でも可能な「野白式吟醸造り」を築き上げました。これらの創意工夫を凝らした技術は、今でも全国の酒造で採用されています。
かつて清酒後進県であった熊本で生まれた技術が、今や全国に広がり、日本酒の質の向上や吟醸酒ブームへとつながっています。
日本酒醸造の南限といわれる熊本で醸される多彩な日本酒を、くうてんのおいしいお料理と一緒にお楽しみくださいませ。
〈参考文献〉
・熊本県の近代文化に貢献した人々ー功績と人と(令和三年度近代文化功労者)ー
・火の國水の國酒の國
・くまもとのお酒大全
・熊本酒造組合 くまもとの酒
・醸界タイムス(2023.12.1号)